こころ


心って案外、単細胞で、ある入力に対して決まった出力をします

■怒り・嫌悪感

これは張り合いが原因で、張り合って嫌いになり怒り出します
嫁姑、恋敵、あなたが嫌いと思う相手は、あなたが張り合う相手です
そしてその相手の何が嫌いかと言ってみると、その部分であなたがその相手と張り合っているということです
「あいつは背が低いから嫌い」
その人は背の高さで彼の人と(他の誰かか自分と)張り合っています
~~~だから嫌いの~~~は、敢えて言及しているのだから、言ってる人にとって重要なことです
また、ほとんどの場合その部分で張り合っているよという言明です
人が怒り出す場合は、
~~~べきがそうはならない、場合がほとんどです
そこで張り合って~~~にならないので怒り出します
張り合うところを言って嫌悪感を示すのだから、結構な確率で悪口はブーメランが酷いです
注意しましょう


■私って・・・は自滅パターン
答えを先に書いておきます
私ってバカです、ろくでなしです、路傍の石です
私について、自分自身で価値ある主張をムキになってすればするほど、滑稽でダサいです
こき下ろすくらいでいいです
かといって卑下しているわけではありません
私についての言及はネコでも犬でも豚でも何に例えても別にどうでもいいからです
どうでもいいことで悩む必要はありません
なぜどうでもいいか
それは、私について、つまり自己言及とは、循環論であり、論理的に定まらず、成立し得ないから
自己というものは何に例えてもどうでもいいものなのです
自己言及に悩むと再帰的に循環し無限後退してドツボにハマります
どうでもいいことに悩む必要はありません
数学や物理でさえ自己定義などの自己言及はご法度です
また、生まれ持った名前を自分自身で名付けることが出来る人がいない事と
同じくらいに自己定義は出来ないものです
私って素晴らしいという宣伝をやるとしたら、お手盛りのしらじらしい公開オナニーショーくらいにしかなりません
再帰関数(自己呼び出し)は終了条件がないとホールト(停止)します
延々と繰り返し何も定まらない論理です
終了条件があれば定まります(定まったものは実はどうでもいいこと)
だからどうでもいい私について悩んでも無意味ということです
自分探しの旅が8割ニート生還率なのはそういうことでしょう
答えの定まらない循環論という私に囚われても無駄な悩みです
また自分が追い詰められるほとんどのパターンで私ってと考えているのではないでしょか?
私ってと考え無限後退でハマって気分が落ち込み自分で自分を追い詰めて
他者を攻撃しより自分の立場を悪くするという自滅パターンになるのです
いじめられたり、ひどい仕打ちをされたりして追い詰められた時に
私ってと自問自答をしないことが第一の解決策です
どうでもいいんです私って大したものでもありません
私から離れよ(ノリ・メ・タンゲレ)です
私に囚われるなとか無我とか
私について自分自身でくよくよ考えない事が良いことであって
論理は自分ではなく他に向けることが正しい論理の在り方なのです
まあ、どうせ他に向ける論理なら、攻撃的な否定よりは、防御的な肯定でもって向けた方が
皆ハッピーなんじゃないでしょうかね
また否定というのは肯定の否定としての存在であって否定そのもの自体では存在できないので
ことさら否定を怖がる必要もあまりないと思います
例えば、予想できる未来なんてないという言説は矛盾を孕んでいます
なぜなら、予想できる未来なんてないという予想自体は果たしてどうやったら成立しうるのか?ってだけのことです
否定言説は自己言及にもっていくとたやすく崩壊します
否定は否定そのもの自体では存在できません
論理的に私について語り得る言葉はないので、私についてはどうでもよかったんです





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